【英語の指導者として 】英語の日記を書くことの意義
はじめに
今日は、珍しく英語学習者の視点ではなく、英語の指導者の視点で記事を書いてみようと思います。
私は、過去に日本語教師であったという顔もありますが、それは一時的なもので、本職は英語の教師です。
もちろん、私は学校現場で教員もしていましたが、それ以外にも、幼稚園生から、大学生、大人まで、色々な人に英語を教えてきました。
思い返せば、NPOでの講師やら、試験対策の講師やら、英語キャンプの運営やら、英会話指導、ライティング指導・・・などなど、色々やっていたな〜と思います。
そんなこんなで、これまで私は自分の英語力向上に合わせて、色々なレベルの学習者の勉強方法について考えることがたくさんありました。
こんな経験を通して一つ思うのは、
これができたら英語ができる!!なんて魔法の法則は存在しない
ということです。
人それぞれが違うように、学び方も一律ではなくて、習得のスピードも違う。
ですが、もしかしたら、私の経験は誰かの学びのプロセスに合うかもしれない?なんて思い、今日は久々に過去を振り返った記事を書いています。
中学生にとっての英語
みなさん、英語を勉強し始めたばかりの頃ってどんな気持ちでしたか?
- 楽しそう!
- かっこいい!
- 頑張りたい!
こんなピカピカした言葉が並んだのではないでしょうか?
今は小学校でも英語の授業があるので、中学生から英語学習を始めるとは言い切れませんが、私が教師として働いていた頃、中学校1年生の初めての英語の授業は、とてもワクワクしました。
それは、子ども達から、英語に対するピカピカとした思いが伝わってくるからです。
でも、中学校生活が慣れてくるとともに、子ども達から
- 英語が分からない・・・
- 難しい・・・
という言葉が出てきて、いつの間にか、英語なんて話すことができない!!
と言われてしまう悲しい結末の壁が待ち構えている。
私は、この悲しい結末をどうしても阻止したかったんです!
では、一つ質問です。
英語=暗記科目なのでしょうか?
もちろん、英語の習得には語彙の暗記や文法的な基本的な知識は絶対条件です。
でも、私は暗記以上に英語=表現の科目だと思っています。
表現の科目であれば、極端な話、美術や音楽とも似たような要素があるのではないか?と感じます。
英語ができる満足感
英語=表現の科目である理由は、自分の考えを英語という言語で表現するからです。
では、また質問です。
自分の考えを伝える方法って、どんな形があるでしょうか?
色々とあると思いますが、例えば・・・
- 話すこと(会話・プレゼンテーション)
- 書くこと(レポート・日記・ブログも一つの形?)
つまり、私は英語=表現の科目であると捉えているので、以上に書いたことができれば、文法や単語がどのような程度であれ、英語ができるという満足感が得られると考えています。
このように考えているのは、私の過去の経験から得た価値観があります。
英語と日記と私
私は全く英語ができなかった頃、英語の先生に、「毎日、英語の日記を書きなさい」という宿題を出されました。
当時の私は、自分の考えを英語で表現することに限界があり、黙っていることが多かったので、とても無理難題な課題だと感じました。
でも、考えてみると・・・
書くことって、話すことと違って瞬間的な能力ではないので、自分の言いたいことを
- 日本語で思いつく
- 英語にするならどうすれば?
- 和英辞書でひく
- とりあえず、出てきた単語を使ってみる
というような要領でこなすことが出来たんです。
その当時の私は、英文を書くことよりも、英文をパステルカラーのミルキーペンを使って、綺麗に書くことが楽しかったです(笑)
また、筆記体に憧れを持っていたので、日記を筆記体で綺麗に書くことも楽しかったです(笑)
私にとって、当時の日記は、可愛くノートをデコレーションすることばかり考えて(笑)英文は、二の次、三の次だったように感じます。
(余談ですが、、、デコレーションという視点で考えても、英語の勉強が美術の表現科目のような要素を持っていると思いませんか?笑)
でも、ある時私は自分の文章の表現が同じであることに気づきました。
私の日記で使っていた接続詞はすべてand then笑
and thenに絶対的信頼を寄せていました笑
それを先生が見つけては、新しい接続詞に変えてくれました。
これは、私の中で大きな発見でした。
次に私がハマった接続詞はbecauseでした笑
そして、私は文章のはじめをBecause,にすることが、ブームとなりました。
それも、先生に何度も訂正されました。
Becauseで始まっている文章は、すべて、It is because / This is becauseに訂正されたのを覚えています。
当時の私は、「品詞」の区別がよくわかりませんでした。
主語・動詞の違いはなんとなく分かりましたが、文章の始まりが、なぜBecauseではダメなのか?理解出来なかったのです。
(ちなみに、中学校の教材を見ると、英語の模範解答には、Because, で始まっているものもありますが・・・)
この二つのエピソードは、私にとって衝撃的なエピソードでした。
でも、とにかく、英語の日記は楽しかった!という思い出は強く残っています。
もちろん、ノートをデザインすることが楽しかったのもありますが、先生が添削してくれて、コメントをくれることもすごく嬉しかったんですね。
当時の先生には、とても感謝しています。
日記の指導と自己肯定感
・・・と日記のよさを述べつつも、
学校の先生は忙しい!
だから、ライティングの添削って、本当に大変な作業だと思います。
でも、私はライティングの指導こそ、子ども達が、英語って楽しいな〜と思える瞬間だと信じているんです。
やっぱり、瞬間的な反応が必要なスピーキングは、
答えに自信がない→間違ったら嫌だ!→言いたくない→英語は嫌だ
といったループになってしまう可能性がある。
かといって、リーディングとリスニングは、自分が表現したいこととは違うので、やらされている感覚がある。
でも、 ライティングは違う。
自分の思いや、自分が楽しいと思ったことを、自分の選んだ言葉で表現することができて、先生からのリスポンスもある。
これが、自己肯定感につながって、もっと表現の幅を広げるために、文法を覚えよう〜だったり、語彙を増やそう〜だったりに、繋がるのでは?と考えています。
終わりに
このような考えで、教員時代の私はライティングの指導は懇切丁寧にやってきたつもりです。
そして、私はなんといっても、ライティングの授業が好きでした。
英語の勉強を、面倒くさい、分からないと思っている子と、話をしながら文章を作ってていき、
「え〜、そんな簡単な単語でいいの?」
「え〜、こんな簡単な文法でいいの?」
「言いたいこと言えた!!」
こんな言葉を聞くと、嬉しかったな〜と。
そして、自習ノートにも日記を書いてくれる子が増えて、私は添削に追われたけれど・・・(笑)
今日は、どんな子ども達の面白い考えが飛び出しているかな?と考えると、添削がとても楽しみでした。
最後に、日記が必ず英語力を高める方法であるとは言いません。でも、このようなアプローチは、学習者次第では、楽しいから続けられる勉強方法であることは間違いないと思います。
今私は指導者としての立場から少し離れていますが、もし私が次に教育現場に戻るなら、またライティングの指導をしたいな〜と思っています。
でも、指導者として戻る前に、これからも私は自己研鑽に努めます。
終わり